教育理念・指導方針

成績を上げる塾 それは「あおい塾」

生徒は一人一人性格も能力も異なります。

誰にでも同じ教え方をしていたら伸びる子も伸びない子も出てきます。

手間はかかりますが、生徒の能力や性格に合わせて指導する事ができれば、成績をのばすことができます。

1人1人に違う指導をしていきます。

そのため「あおい塾」では、徹底的な少人数制を採用します。

「なぜ?なんで?どうして?」。

物事を「知りたい」という本能的欲求「好奇心」。

これは人間が人間たる根源でしょう。

勉強とは「好奇心」の延長上にあるもの。

この好奇心をいかに上手に利用するか、刺激するか。

これが学力向上の極意であると思います。

この考えが、あおい塾の行動・指導全ての基準となっています。

指導理念
私たちあおい塾は「知的好奇心の育成」を指導理念に、授業を展開していきます。

1.2%の影響力
基本的に塾での指導というのは、たいてい1 週間 168 時間 24h × 7 日) のうち 、 2 時間程度。 1/84 しか指導できません。パーセントにすれば約 1.2% です。この 1.2% でどれだけの影響力を生徒たちにのこすことができるか。それが塾の力、講師の力だと私たちは考えます。

こだわり
成功行動の原則は「内的動機」が基本です。「好きこそものの上手なれ」とは正にその通りで、「好き→頑張る→結果に出る→嬉しい→もっと好きに→…」というスパイラルに乗れた人は、自ずと成績が伸びるものです。逆に「嫌 い→しない→結果に出ない→つまらない→余計にしない→…」という負のスパイラルに陥ってしまうと大変です。一旦負 のスパイラルに乗ってしまった人はなかなかそこから抜け出すことができません。この負のスパイラ ルを断ち切ることも私たち 塾講師に課せられた使命の一つでしょう。「学ぶことの楽しさ」を伝え、「自分で発見する喜び」を共有し、「達成感」「到達感」「克服感」を存分に味わってもらう。そのためには、やはり「結果」を出す必要があります。「過程>結果」でもなく、「過程<結果」でもない、「過程の伴った結果」の追求。これがあおい塾のこだわりです。

いやいややっても意味がない
「やらされる3 時間よりやる気の 30 分」。これがあおい塾の授業方針です。唐突ですが、皆さんは嫌いな食べものはありますか?「ニンジン」「トマト」「ピーマン(私も苦手でした)」いろいろあるかと思います。それらが食卓に並んだときのあの辛さ。母親に「栄養があるのだから!」と叱られながら、無理やり胃に流し込んだ覚えがあります。「栄養なんてあるものか!」と思いながら…。十数年ほど前になります。知り合いの栄養士さんから「心が否定しながら食べた食べ物は、いかに栄養があろうとも体が受け付けない」という お話を聞きました。驚きました。そして同時に、ある心理学の実験を思い出しました。その実験とは「プラシーボ(偽薬)効果」の実験です(現在では禁止されている実験の一つです) 。 大まかに説明すると、「医者が難病患者に『これは効果のある薬だ(実際は単なるビタミン剤)』として患者に投与したところ、回復した患者が出た」というものです。人間の心と体というのはなんという密接な関係にあるのでしょう。そして、これらと自身の過去の勉強と、生徒たちの成績向上とを結びつけて考えてみると、すべからく、最終的に志望校に合格した生徒たちは、みな、「自らの意志で勉強していた」という事実に気付きました。この事実に気付いて以来、約 20 年、大 手の進学塾から地方の個人塾まで、色々と丁稚奉公をしてまいりましたが、やはり「自らのやる気」に勝る特効薬はない、と今では確信しております。それらの様々なエピソードはコミュニケーションの中でお話しするとして、「やる気」がでない、と嘆く前に、やってみる、から始めましょう。私は「学ぶこと 、クラブなど の活動をするこ と、 遊ぶこと 、家族と過ごすこと 」どれもが今の皆さんにとって必要なこと、大切なことだと考えます。 それらを十分に行うため、 知識だけではなく、時間の遣い方も学んで いきましょう。 「やらされる3 時間よりやる気の 30 分」 。私たちがサポートします。

可能性
「君たちは将来何になりたい?」と聞いたとき、小学生低学年であれば、「ケーキ屋さん」「パイロット 」「サッカー選手」「総理大臣」など、私たちが子供の頃に持っていた夢と同じような事を、目を輝かせながら語ってくれます。しかし、高学年になればなるほど、だんだんとそれらの夢が現実味を帯びたものに変わってきます。また、中学 3 年生くらいになると、「努力しても無理だから無駄」といった非常に後ろ向きな回答がちらほら…。残念で なりません 。 では、皆さんが 30 歳になったとき、同級生のパティシエ 、パイロット、 J リーグの選手は 誰も いないということになりますね。 本当にそうでしょうか?そんなはずありませよね。 同級生の誰かが、 J リーグの選手にな り 、パイロットにな り 、総理大臣にな る のですから。では、誰がなるのか。 それは最後まで諦めなかった人です。 自分 には無理だと 思 って諦めた 時点で競争から外れることになり、 それこそ ライバルの思うつぼです。 もちろん 学力だけ の話 ではありません。 夢は何だってよいのです。大事なことは諦めないこと 、続けること 。 長い人生において、 現時点で無理だ と決めてしまうのは 、まだまだ 時期尚早です。皆さんの未来は可能性で満ち溢れています 。

成績向上のグラフ
誰もが夢見る「一次関数」のような成績向上。残念ながらこのようなグラフを描ける人は、延べ 1500 人以上の生徒を見て着ましたが誰一人としていませんでした。一方で長い目( 10 年単位)で見ると、すべての人が時間に比例して成績が向上しているというのも事実。さて、これはどういうことでしょうか。小学生のころを思い出してください。「 7+8= 」という問題。「えーっと 、 7に 1,2,3 …、指が足りない 」 なんて思いではありませんか?九九を覚えるのにどれだけの時間がかか りましたか?しかし、今ではある程度スラスラ言えることだと思います。このように、長い目で見れば、学力のいうのは必ず向上しているものです。しかし、段々と学習する内容が難しくなり、一朝一夕では身に付かなくてくる…。人間とは、良くも悪しくも「経済性」を追求する生き物ですから、「ちょっとやって出来なかったことは諦める」「すぐに出来るようにならないから諦める」という楽な方向に流れがちです。そして一様に口にするようになるのが、「やっても出来ない」「どうせできない」「やるだけ無駄」というセリフ。これは大間違いです。必ず「で きるようになる」のです。そのためには「助走期間」をいかに耐えるか。高いところに飛ぼうとするなら、膝を曲げて力を溜めるように、遠くへ飛ぼうとするなら、勢いをつけて疾走するように、成績向上を目指すときも同様に「準備期間」というものがあるのです。「簡単にできる」ことほど「すぐに飽きる」ことはありません。歯を食いしばり、汗を流しながら、そして時には 涙を浮かべながら、様々な苦難を乗り越え、やっと手に入れたものは一生の財産になります。社会に出ればわかりますが、残念ながら「努力は必ずみのる」という保証はありません。しかし 、成功したひとはすべからく皆、努力をしています。そして「学力」だけは「実る」ものです。

指 導 方 針

成績向上のための3つの信念

楽しもう!でも、常に「真剣勝負」で!

無意識レベルの「基礎力」を求める

百匹の魚を与えるより、一匹の魚の釣り方を教える

楽しもう!でも常に「真剣勝負」で!

学力向上の極意の一つ、それは「常に真剣勝負」。

皆さんもされたことがあるかと思いますが、たたみのヘリだけを歩く。

横断歩道の白い所だけを選んで歩く。

私は今でもたまにしてしまいます。

そして、誰もが思いつく想像の世界、「もしこれが断崖絶壁の崖の上だったら」。

実際にそのようなシチュエーションに出くわすことは99%ないでしょう。

しかし、実はこの想像の世界を常に考えるようにすることが「向上の極意」なのです。

 

 クラブや部活動、スポーツの世界で言われる言葉

「練習は試合のように、試合は練習のように」

皆さんもどこかで聞いたことがあるかと思います。

常に「これが試合だったら…」と想像しながら練習を真剣にする。

試合では「これは練習だ。」と想像し、緊張を抑え、いつもどおりにすれば大丈夫、とリラックスさせる。

 何度も練習をして、「いつ、どんな状況でも再生できる」状態にもっていく。

これが真の練習です。

練習で一度もできなかったことが、本番でできる。

ありえませんよね。当たり前です。練習なくして、結果なし。

 

 実は、勉強の極意としても同じなのです。

勉強における本番とは。それは「テスト」ですよね。

ここで結果を出さなければ、それまでの努力は水泡に帰してしまいます。

高校入試なんて、普通は1回か2回しか受けられません。

その1回か2回のテストで最高の結果を出すために、常に練習を本番だと想像して受ける。

そうやって常に「真剣勝負」の気持ちを持っておく。

 最高の結果を出すために。

もちろん結果が全てではありません。

しかし、結果にこだわるからこそ、それまでの過程を大事にする。

点をつなげば線になり、線を重ねて面に、面を重ねて体にする。

森羅万象全てのことがつながっているのです。

毎日が真剣勝負。

そうすればおのずと結果はついてくるもの。絶対に学力は向上します。

 

『九九』本当に出来ますか?

「基礎」とは、無意識レベルで出来てこそ、初めて「力」となる

 Aという生徒とBという生徒。

二人の生徒の数学の能力は共に100とします。

ですが、テストの点数において歴然とした差がある、としましょう。

能力は同じなはずのAとB。

なのになぜ点数に差がでるのか。

AとBではどこが違うのでしょうか。

 

 答えから言います。

それは、2人の「九九」の力の違いです(一例)。

 

 「そうだね、実はA君、君は九九が出来ていないからなんだよ。」

このように言うと、素直に

「そうなのか、僕は『九九』が出来ていなかったのか!」

となる生徒はほとんどいません。

ほぼ全ての生徒が口をそろえてこう言います、

「『九九』なんて言えるし!」

と。

 

 問題には基礎部分と重要部分があるとします。

 基礎部分とは、数学なら単純計算つまり「九九」。

英語なら単語力、国語なら読解速度や語彙力のこと。

ここに能力の50を使う生徒Aは、

基礎[50]+重要[50]=[100] 

という風に能力を割り振らなければなりません。

 しかし、基礎力「九九」を「無意識レベル」まで向上させた生徒Bは、問題の基礎部分に能力を[5]しか取られません。

そうすると、残り能力の[95]を重要部分に使うことができます。

基礎[5]+重要[95]=[100]

 

 生徒の能力は同じ100の能力なのに、結果で差がつくのはだからなのです。

基礎力を無意識レベルまで高めているBは、能力のほとんどを重要部分に使うことができるのです。

 

 もちろん実際はこんな単純ではありません。

基礎力は「九九」だけではありませんから。

ですが、実際「九九」という基礎を無意識で答えられなかったら、

つまり単純な計算にテストの半分の時間をとられてしまうとしたら、どんなテストも時間内に終わりません。

 

 実際、本当のところ、数学が出来る/出来ないの差は、

実は「九九」という基礎力を、無意識レベルまで落とし込んでいるかいないかの差なのです(中学生レベルならば)。

 

無意識に落としこむためには、どうすればよいのか。

そう単純に反復あるのみ、です。

大変かもしれませんが、決して才能で「九九」ができたりできなかったりするわけではありません。

 この大変な反復練習。

でも実はちょっとだけ効率良くする極意があるのです。

それは実際の授業で教えます。

 

百匹の魚を与えるより、一匹の魚の釣り方を教える

教育業界で有名なこの格言。英語で言えば、

Give a man a fish and you feed him for a day. Teach him how to fish and you feed him for a lifetime.

 

中国語で言えば、

授人以魚,不如授之以漁,授人以魚只救一時之及,授人以漁則可解一生之需

 飢えている人に魚を与えればその人はその日をしのぐことは出来るだろう。

しかし、魚の釣り方を教えれば、その人は一生食べていくことができる。

 

 オリジナルは、中国の老子説、ユダヤ教説、諸説様々ありますが、起源はさておき。

「良い言葉」だからこそ、世界中で愛されている?のだと思います。

深読みすれば、「なかなか出来ないこと」だからこそ、金科玉条とされているのかも知れません。

聞いている方(生徒)だけでなく、教えている方も、簡単に答えを求めて(教えて)しまいがちですから。

 

 もちろん、「わからないことを(すぐ)人に聞く」というのは、

「知識を得る」ひとつの手法ではありますが、それだけに頼ってはいけません。

「自分でまずやってみる」、「試行錯誤を繰り返す」、「法則性を考える」、様々な方法があります。

そして、勉強はいずれ1人でできるようにならなければならないこと。

いつまでも、いつでも、そばに先生がいるわけではありません。

 

 なので、あおい塾では、「知識問題」は基本的に教えません。

講師の役目は「知識を与える」のではなく、「知識を得る方法を教える」ことです。

昨今、なんでも「教えてクン」を甘やかし、

「すぐに教えるクン」が尊重される傾向にありますが、あおい塾は過保護に教えません。

教育方針

 世の中の家庭ごとに教育方針があり、家庭内でも、父親と母親でも差異があったりするもの。

あおい塾の基本的な教育方針は上記のとおり。

もしご賛同いただけたのなら、是非一度足を運んでみてください。



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